わんにゃんおうちものがたり


 ショートは猫である。名前はショートキャット。略称ショート。通称ショトキャ。
 〝フツーの猫〟ではないので親兄弟はいない。しかしどこで生まれたかとんと見当がつかぬ、ということもない。ナントカカントカという場所で、周りがわーわー言っていたことは記憶している。見るもの全てが初めてだったが、特に興味は感じなかった。たくさんのニンゲンにあれこれ身体をいじり回されて閉口した。夕陽が沈む頃、ようやく解放された台の上で、眠い、と思ってあくびひとつして寝こけていたら、いつの間にやら運ばれて、今日からここで暮らせ、とまた見知らぬ場所へ連れていかれた。トドロキという、ニンゲンの雄の家だった。
 住み心地は悪くはなかった。ショートはニンゲンたちいわく〝図太い性格〟であったし、あまりうるさくない場所で、のんびりと喰う寝るたまに遊ぶ、ができればそれで満足だった。トドロキは何を考えているのか良くわからないぽやぽやしたニンゲンだったが、ショートにあれこれうるさくもせず、構いすぎてくることもなく、同じ家で暮らすのは楽だった。時たまに飯の補充を忘れるので、そんな時は寝込みを襲撃し、ぽこんと額を叩いて起こしてやった。
 ある日、ショートは移動用の小さな容れ物に詰められて、トドロキの家から連れ出された。なんだまたか、と面倒くさく思っていたら、ナントカ研究所やカントカ病院ではなく、別の家で外へ出された。イイダというニンゲンの雄の家だった。イイダの後ろにはショートと同じ四本足の、何やら黒い毛並みの生き物がいた。テンヤ、とトドロキが呼んだ。病院で何度か見たことのある中でも、ひときわ大きく立派な体格の雄犬だった。
 こんにちは! とテンヤという名の犬が挨拶をしてきた。あまりに大きな声だったので、ショートは驚いて思わず少し飛び上がった。尻尾の火がぼっと燃えた。イイダがこらとテンヤを叱った。テンヤはきゅうと鳴いて身体を縮め、今度は物凄く小さな声でごめんなさいと言った。変なやつだなと思った。トドロキが前へしゃがみ込んでテンヤの頭を撫で、お前にそっくりだ、と言って笑った。ショートは気付いた。いつもぽやぽやしたトドロキがたまに愉しげに笑って「スマホ」で話していたのが、このイイダだったのだ。
 その日ショートとトドロキはイイダの家に泊まった。まあ普段通りに喰う寝る少し遊ぶができればいいか、と思っていたショートだったが、夕陽が沈む頃にはすっかりその場に馴染んでいた。部屋に漂う空気の色はトドロキの家とどこか似ていて、不思議な良い香りがした(カンキツがナントカカントカと言ってイイダが不安げにしていたが、全く気にならなかった)。
 イイダは声や動きがやたらにはきはきしゃかしゃかしていて、少しおかしなところもあるニンゲンだったが、ショートが好むものをすぐに察して、静かにのんびりさせてくれた。大きな手で撫でられると驚くほど気持ちよく、もっとと望んで乗り上がった膝の上は、どちらかと言えば硬いゆりかごであったが、すぐに寝付いてしまうほど居心地が良かった。そのままごろごろしているとトドロキが手を出してきて、俺の場所を取るなだのと言って無理やり降ろされた。その大きさでイイダの膝の上に納まれるはずがないのに、変なやつだと思った。
 イイダは缶に入ったいつもと違う飯をショートに出してきた。普段のカリカリした飯も別に嫌いではなかったが、やわらかくてとても美味しく、夢中になって食べた。わき目も振らずに皿に顔を突っ込んでいるショートを見て、トドロキが感心したような呆れたような声で言った。
「そんなもん用意してたのかよ」
「ああ。移動で疲れさせてしまったろうし、俺たちだけ奮発するのは悪いと思って。まだあるからいつでも連れてきてもらっていいぞ!」
「来るたびやってたら癖になっちまいそうじゃねぇか?」
「……癖になっていつも来たいと思ってくれたら、またすぐ君をここへ連れてきてくれるかも」
「飯田」
「あ、いや……すまな、……んっ」
「……俺はいつだって来てぇから、寂しくなったらすぐ教えろよ。俺も言うから」
「うん……ありがとう」
 と、そんなことをニンゲンたちは頭の上でなんやかんやとやっていたが、夕飯の頃にはもうショートの特別な興味は別のところにも向いていたので、トドロキをぽこんと叩いてやる必要はなかった。皿の隅まで綺麗に食べ終え、てててと隣へ駆け寄っていくと、ついてるよ、と言ってテンヤが頬を舐めてくれた。
 テンヤは「ご主人」と呼ぶイイダとよく似てやたらきびきびしゃきしゃきしている、やっぱり少し変なやつだったが、真面目でやさしく、面白くてあったかい犬だった。後脚がとても力強く立派な形をしていて、お前足が速そうだな、格好いいな、と言ったら、ありがとう、と丁寧に頭を下げてお礼を言ったあと、その場でくるくる回って嬉しそうに照れくさそうにしていた。こいつちょっと可愛いな、と思ってから少しの時間で、今日初めて顔を合わせたことも忘れるほど、ふたりはすっかり打ち解けて仲良しになった。
 あれこれ話しながらゆっくり飯を食べているニンゲンたちの様子を眺めて、君のご主人と俺のご主人はとても仲がいいんだな、とテンヤが尾を振って言った。あいつ俺のご主人だったのか、と思いつつ、そうだなとショートは応えた。あいつらきっと番いなんだな、と言うと、テンヤは綺麗な赤い目を不思議げにぱちぱちとさせた。知らないのかと訊くとくぅんと鳴きながら頷いて、もっと勉強しなければ、と少し悔しげな顔で呟いていた。やっぱり可愛いな、と思った。
 ひょっとしたら俺たちここで番いみてぇになれるのか、そのために連れて来られたのか、とうきうき期待しながら眠りに就いた(ニンゲンたちは夜遅くまでなんやかんやしていたようだった)ショートだったが、翌朝、容れ物を手にしたトドロキに帰るぞと呼ばれ、一転落胆した。まだイイダに撫でられ足りなかったし、せっかく出会えたテンヤと離れたくなかった。テンヤも寂しげに耳と尾をしおれさせていた。可愛くて哀しい姿だった。
 俺は残るぞ、お前だけ帰れ、と容器の入口に脚を踏ん張っていると、ぴんと額を指で弾かれ、小さな声で耳元に囁かれた。
「飯田は忙しいんだ。お前の面倒まで見させるわけにはいかないだろ。……俺だってすげぇ我慢してんだから、お前ももう少し我慢しろ」
 これまでにかけられた中で、一番真剣で、一番しょぼくれた声だった。ショートは仕方なく我慢してやることにした。イイダには聞かせたくない声だろうと思ったからだ。
 容れ物越しにテンヤと鼻先をすり合わせて、またな、と言った。テンヤの赤い目がうるうると濡れて震えていた。ゆうべは自分がさんざん毛づくろいをしてもらったが(ショートはトドロキいわく〝猫のくせに〟毛づくろいが面倒でサボりがちだった)、今度は自分がテンヤを撫でて舐めて、綺麗な赤い瞳を覗き込んで、大丈夫だと言ってやりたかった。
 それからというもの、ショートは何日か、何十日かごとに、トドロキに連れられてイイダの家に行く日を心待ちに過ごした。ニンゲンたちはもっと頻繁に会っている気配があり、ずるいと思ったが、僕たちはとても離れて暮らしているから、とテンヤに教えられて仕方なく我慢した。
「最近朝のロードワークのコースを変えたんだが、大きな公園があって、テンヤも散歩に来ている人たちに可愛がってもらっているよ」
「へえ。変なやつが近寄ってきたりしてねぇよな?」
「もちろん、とても良い人たちばかりだぞ! 近寄ってくると言えば猫かな。地域猫が沢山いて、走ったあとだから温かいのか、テンヤにくっ付いてきたりするんだ」
 などと聞き逃せない話があった翌朝にはイイダたちのサンポに同行し、テンヤにまとわりついて来ようとする不埒な野良猫どもを追い払ってやった。イイダに少し叱られ、テンヤは少し困っていたが、君が一番特別、と言ってくれたのでとても満足した。風裂いて走るテンヤの背中の上は最高に気持ちよく、その日以来、ショートはイイダの家に泊まりにいくたび二人のサンポに意気揚々とついて行った(あまりにも早起きなので帰路とその翌日は爆睡していた)。トドロキが口尖らせて「お前だけ堂々と一緒に行けてずりぃぞ」などと言っていたが、お互い様なので知ったことではなかった。
 そうしてさらに何百日かが過ぎた。
 初めてトドロキがサンポに付いてくるという珍しいことがあったかと思えば、ニンゲンたちが頭上でばたばたそわそわとし始めた。忙しそうだがやけに浮かれたりにやけたりしていて気持ち悪い(イイダは気持ち悪くない)、とぼんやり眺めていると、突然トドロキが家をひっくり返す勢いで部屋の中の物をまとめ出した。
 なんだなんだとあくびをするショートが首も傾げてやらないうちに、トドロキはさあ聞けとばかりに鼻息荒く教えてきた。
「飯田と家族になる。ずっと一緒に暮らすんだ」
 テンヤもだ、と言う。
 まさか嘘だろう、と思った。何日、何十日、何百日も離れて過ごして、何度ショートとテンヤが鳴いて別れを惜しんでも、何度イイダが寂しそうに背を丸めるのを見ても、何度ショートへしょぼくれた情けない声を聞かせても、わかったもう帰らないとは一度も言ってくれなかったくせに。どうせ夢だろう、と思った。
 ぽかんとしているうちに部屋がすっかり片付き、ショートの飯皿と、気に入りのネギ型の蹴りぐるみとテンヤ似の犬柄の毛布(どちらもイイダがくれたプレゼント)まで箱にしまい込まれた。ショートはいつものように小さな容れ物に詰められて、ぶんぶんと振り回す勢いで外へ連れ出された。そうして夕陽が沈む頃、知らない場所で降ろされた。
 知らない家だった。なんだここはと警戒して匂いを嗅ぎ、耳を澄ませていると、不思議な良い香りが漂ってくるほうから、わん、と聞き馴染みのある大きな鳴き声が聞こえて、ちゃ、ちゃ、と聞き馴染みのある足音が床を駆け寄ってきた。会って間もない頃、僕は君みたいに爪をしまえないんだ、と申し訳なさそうに言い、家の中ではいつもそっと歩くようにしていた真面目でやさしい大好きな彼が、テンヤが、喜びをいっぱいにしてショートの名を呼び、一目散に駆け寄ってきた。
 夢じゃねぇ。
 ショートは急いで容れ物から這い出して、大きな身体に勢いよく飛びついた。テンヤはほんのわずかにもよろけることなくショートを受け止め、ぶんぶんと尻尾を振りながら、今日から僕ら家族だ、ずっと一緒に暮らせるんだよ、と嬉しさにうわずる声で言った。
「テンヤのベッドはここで大丈夫かい?」
 イイダがリビングに大きくてふかふかなベッドを出してきて、テンヤに訊ねた。テンヤがわんと元気に応え、イイダは安心したように笑った。いつもこのへんだっただろうとショートが問うと、それはトドロキが泊まりにくる日にあらかじめ場所を移していただけで、普段はイイダの寝室にベッドを置いてもらっていたのだとテンヤは答えた。
 君が一緒に来た日は一緒に寝られたけれど、トドロキくんだけが来るときは独りぼっちで寂しかった。ご主人はそのたびごめんと言って撫でてくれたし、トドロキくんが帰る時は同じぐらい寂しそうだったから、一緒に我慢したんだ、とベッドに身を横たえながら思い出話をするテンヤの目がうるうるとしかけたので、ショートはまた急いで駆け寄り、その顔を撫でて舐めて、あいつやっぱりひとりで何度も来てやがったのか、の文句を呑み込んで、もう大丈夫だぞと言ってやった。うん、とテンヤが頷いて、広い胸の中にぎゅっと抱きしめてくれた。
 それから新しい家を一緒に探検し、匂い残しも兼ねてふたりでころころ転げ回り、めいっぱいじゃれ合った。広くて綺麗な家の一角を少しぐちゃぐちゃにしてしまったが、ニンゲンたちも夜通しじゃれ合ってベッドをぐちゃぐちゃにしていたようなので、お互い様だった。
 嘘でも夢でもなく、その日からふたりとふたりは家族になって、何日過ぎても同じ家で暮らすことができた。一緒に食事をして、一緒に昼寝をして、一緒に遊んで、一緒に風呂、はおおむね遠慮したが、毎日おやすみを言い合って、一緒のベッドで眠った。
 ご主人は忙しいから家でも「事務所」でも留守番が多かったけど、今は君がずっとそばにいてくれる。嬉しい、とテンヤがいつも幸せそうに尻尾を振るので、ショートもますます幸せになった。トドロキとイイダも負けじと毎日愉しげにしていた。もしご主人たちが仲良くなくなったらまた離ればなれになってしまうかもしれないから、喧嘩をしたらすぐに止めに入るぞ、とテンヤが意気込んでいたが、その心配はまずないだろうと思えた。喧嘩や言い争いのようなものを全く見ないわけではなかったが、いつもイヌモネコモクワナイであっさり終わった。ふたりのニンゲンたちはかつてショートが見込んだ通りに番いで、それも一生添い遂げる仲の番いに間違いなかった。その点では犬や猫よりタヌキに似ていた。
 目下ひとつだけ心配事があるとすれば、家でずっと一緒にいられるようになったことで安心し、サンポに付いていくのをやめてしまっていたことだ。朝に弱いショートが早起きするにはかなりの気合いが必要で、できればテンヤの温もりが残るベッドでごろごろしていたいのだが、今日の夕飯前にこんな話を聞いたのだ。
「近くに新しいドッグランができたそうなんだ。ロードワークのルートともそんなに離れていないし、今度行ってみようかと思って」
「んな朝早くに入れんのか?」
「六時にはもう開いているし、その時間帯でももう沢山わんこ君たちが集まっているようだよ。アジリティの設備もあるらしい」
「へえ。テンヤはそのアジなんとかの訓練もしてたんだろ? またモテちまいそうだな……ああここか。このへん猫が多いってうちの事務所のやつが話してたぞ。犬も多いんだな」
 ぴん、と耳が反応して、尻尾の火がぽぽぽと予感に燃え立った。これはなんとしてもまたサンポに付いていって、テンヤに必要以上にじゃれつこう、独り占めしようなどと企む不埒な犬猫どもがいたなら、しっかり釘を刺してやらねばなるまい。そう決心して、ショートの背中をせっせとグルーミングしてくれていたテンヤを見上げた。ことりと首を傾げ、綺麗な赤い目で見つめ返してくる。今日も可愛い。
 お前は俺の一番特別だからな、と語りかけると、えっ、と驚いたように声を漏らし、ぱちぱちと目を瞬かせてから、照れくさそうに、それ以上に嬉しそうに、僕だって君が一番特別だよ、といつものごとく応えてくれた。もし今「俺と番いになろう」と言えば、テンヤもその意味をわかって、うんと笑って頷いてくれるかもしれない。明日の首尾が上々であったら、早速話をしてみようか。
 よしと決意を新たにして、広い胸の中にもぐり込む。早起きのためには早寝をしなければならない。あちらのほうではニンゲンふたりがまた睦まじげなことをなんやかんやとやっているようだが、喧嘩でないのなら一切ほうっておいて問題ない。
 おやすみショートくん、のやさしい声とともにまぶたに眠気が降りてくる。明日は俺が守るぞと胸に誓って、おやすみテンヤ、とひと声鳴いた。


おしまい。

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