メモリーオンザビーチ


 じゃくじゃく、じゃくじゃく。
 「はまべ」を歩くと、砂のなく音がする。
 「どうろ」を歩いても砂はなかない。さくらぐみのミクちゃんは「クツがきたなくなるからイヤ!」って言ってたけど、ぼくははまべを歩くほうがすきだ。砂のなく音もすきだし、ぼくのうしろにクツのあとができるのもたのしい。
 じゃくじゃく、じゃくじゃく。
 なつがおわったら、うみは人がいなくなって、しずかになった。「泳げないきせつになったからだよ」てママが言った。ぼくは泳げないうみもすきだ。砂のなく音がきこえる、しずかなはまべがすきだ。
 はまべでママとさんぽするのは一ねんぶりだね、ってパパが言ってた。パパは今日はおるすばん。ママにあたらしいきれいな貝がらをあげたくて、ぼくははまべをじゃくじゃく歩く。
 じゃくじゃく、ざっざっ、じゃくじゃく、ざっざっ。
 砂がちがう音でないた。「ざっざっ」の音は向こうのほうからぼくたちに近づいてくる。はまべのずっと向こうから、だれかが走ってくる。「あんまり遠くに行ったらだめだよ」とおくを見てたらママが言った。ぼくははぁいとおへんじしようとして、ママのほうを向いた。でも砂がやわらかくて、足がちゃんとうごかなくて、からだがぐるんとなってしまった。ママが「あっ」て言った。ぼくも「あっ」て言った。
 砂が大きな大きな音でないた。
 ぼくは泣かなかった。ころばなかったし、いたくなかった。ぼくは空にうかんでいた。
「大丈夫かい?」
 あたまの上から声がした。ママじゃないだれかの声。空だとおもったのは、だれかのうでの上だった。
「すみません、ありがとうございます!」
 ママが大きな声を上げて、こっちに来ようとしたから、ぼくはいそいで言った。
「ママはだめ、走っちゃだめ!」
 ママがびっくりして止まった。ばたばたしたら、からだがゆっくり下におりて、足が砂についた。ぼくをだっこしてたのは、せが高くてめがねをかけたお兄ちゃんだった。
「もう、そうちゃんもお礼を言わなきゃ。本当にすみません……あっ」
 ママはぼくに少しおこったかおをして、お兄ちゃんを見て、またびっくりしたかおをした。めがねのお兄ちゃんはにこにこ笑った。
「いえいえ。間に合って良かった。でもこういう地面のやわらかい場所では、足元に良く気を付けるんだぞ! 尖ったガラスや硬い石が埋まっていることもあるからね」
 お兄ちゃんがいそいで走ってきてくれたから、そうちゃんはころばなかったんだよ、ってママがおしえてくれた。ぼくは「ごめんなさい」と「ありがとう」をお兄ちゃんに言った。ずっと向こうにいたのに、すごいと思った。お兄ちゃんはかけっこがはやいんだね、すごいね、って言ったら、ありがとう、ってにこにこ笑った。おむかいさんちのポチにちょっと似ていた。
「こんどね、ぼくもようちえんでパパといっしょにかけっこするよ。ママはあかちゃんが生まれたばっかりだから、走っちゃだめなんだよ」
「なるほど! 君はお兄さんなのか。かけっこ頑張れるといいな」
「うん」
 パパとまたかけっこのれんしゅうをしたかったけど、パパは「今日はママとゆっくりおさんぽしてきなさい」て言った。あかちゃんとずっといっしょにいるとママはたいへんだから、今日はパパがあかちゃんといっしょにいる日なんだって。ぼくはママがゆっくりおやすみできるように、ママを守ってあげるんだ。
「そうか。君も君のパパも、ママ想いでとても優しいな。かっこいいぞ」
 あかちゃんのおはなしをしたら、めがねのお兄ちゃんはもっとにこにこして、おっきな手でぼくのあたまをなでてくれた。ぼくがポチになったみたいだったけど、「やさしい」も「かっこいい」もうれしい。そんなお兄ちゃんになれるといいね、てパパとママが言ってたから。
「時にそうちゃん君。僕のお願いも聞いてくれるかい」
「なに?」
「君が持っているそのバケツとシャベルを、ちょっとだけ貸してくれないかな。さっき走った時に、砂浜に大きな穴を空けてしまったんだ」
 お兄ちゃんははまべの向こうを見た。ぼくも見た。砂がぼこんとへっこんでいた。
「元の通りに埋めておかないと、誰かがつまづいて転んでしまうかもしれないから、危ないだろう?」
 うん、てぼくはこたえた。〝あぶない〟はよくない。パパもママも、ぼくが〝あぶない〟と、すごくおこったりしんぱいしたりする。それに、ママがころんじゃったらたいへんだ。
「ぼくもおてつだいしたい」
「お、そうかい? じゃあお願いしようかな」
「でもね、知らない人と二人だけであそんだりしたらだめなんだよ」
「うん、その通りだ。ママに訊いてみてごらん」
 ママはおやすみ中だから、ぼくとお兄ちゃんと二人だけ。だめだろうな、と思いながらママにきいたら、にこにこ笑って「いいよ」って言ってくれた。ママはお兄ちゃんのこと知ってるんだって。よかった。
「あ、でも、どこかへ行かれるところだったんじゃ……?」
「いえ、久しぶりに海岸を走ろうと思って来ただけで、どこへ向かっていたというわけでもないんです」
 今日はお兄ちゃんもお休みなんだ、っておはなししながら、砂がへっこんだとこまで三人でいっしょに歩いた。うみのはんたいの、少しとおいばしょに、大きなかさがついたベンチがあって、ママはそこに座った。ぼくはシャベルをつかって、めがねのお兄ちゃんはバケツをつかって、ふたりで砂をもとどおりにした。
 ぼくはお兄ちゃんともっとあそびたくなって、おてつだいのあとにおねがいをした。お兄ちゃんもにこにこ笑って「いいよ」って言ってくれた。「ママをのんびり休ませてあげよう」って。
 ママにあげる貝をいっしょにさがしてから(ピンク色の、丸くてかわいい貝があった)、バケツで砂のおしろを作って、トンネルをほった。ぼくが作るといつもとちゅうでくずれちゃうけど、お兄ちゃんはトンネルをほるのがじょうずだった。すごいね、って言ったら、お兄ちゃんもむかしお兄ちゃんからおそわったんだよ、って言ってた。
 おしろを作ったらつかれちゃったから、ならんではまべに座っておやすみした。今日は「なみ」も「しおかぜ」もしずかだった。きれいでいいところだね、ってお兄ちゃんは言った。いいところだよ、ってぼくも言った。
「このまえ、パパとさんぽしてるときに、うみに『にじ』が出たんだよ。すごくきれいだったよ。でもパパが『スマホ』をわすれちゃったから、もう見られないんだ。スマホとまちがえてテレビのリモコンをもってきちゃったんだって」
「それは残念」
 パパはうっかりさんだったな、ってお兄ちゃんは笑った。うっかりさん、ておもしろい。こんどパパがまちがっちゃったら、うっかりさんだね、っておしえてあげよう。
「そうちゃん君のおうちは、この近くにあるのかい?」
「うん、そうだよ。お兄ちゃんのおうちは?」
「お兄ちゃんのおうちは、ここからは少し遠いかな。でもこの浜辺には前にも何回か走りに来たことがあるよ」
 そのときにママと会ったのかな。でもぼくは知らないから、ずっとむかしかな。お兄ちゃん、ずっとぼくの名まえ、まちがってるな。
「お兄ちゃん、ぼくの名まえちがうよ、『そうた』だよ」
「む、失礼。つい癖で……いや、ありがとう。そうた君だな。ちゃんと呼ぼう」
 お兄ちゃんはおはなしのしかたがちょっとヘンでおもしろい。ぼくはシャベルで砂をじゃりじゃりひっかいて、「もじ」もかけるよ、っておしえた。
「パパと、ママと、あかちゃんの名まえもかけるよ。ようちえんで、だいすきなものと、だいすきなひとの名まえをかけるようになりましょう、って、れんしゅうしたんだ」
「そうた君はご家族が大好きなんだな! うん、練習の成果がしっかり出ているぞ」
 四人ぶんの名まえをかいたら、うまいうまいってほめてくれた。お兄ちゃんはようちえんのせんせいにもちょっと似てる。
「お兄ちゃんのお名まえは?」
「お兄ちゃんは、『てんや』っていうんだ」
 おちてた木のぼうをつかって、お兄ちゃんもぼくがかいた「そうた」のとなりにもじをかいた。お兄ちゃんのもじは大きくてきれいで、ぼくにも「てんや」ってすぐによめた。
「ぼくね、『かんじ』も少しかけるようになったよ。そうたの『た』はカンタンだけど、『そう』はむずかしいから、もっといっぱいれんしゅうして、かけるようになるんだ。お兄ちゃんのかんじはむずかしい?」
「『や』が少し難しいかな。上手に書けるように、お兄ちゃんもたくさん練習したよ」
 ひらがなの「てんや」のとなりにお兄ちゃんがかいた「かんじ」は、ふたつ目がこちゃこちゃしていた。ぼくの「そう」とおんなじぐらい、むずかしそうだった。
「もっとむずかしい『かんじ』、かける?」
「ふむ。何をもって難しいとするかだな……画数の多さか、字体のバランスか、読みづらさか」
 こしょこしょ言いながら、お兄ちゃんはさらさら砂の上にもじをかいた。ぜんぜん知らないかんじだった。これはお花の「バラ」だよ、っておしえてくれた。きれいだけど、トゲがあるからきをつけて、って、まえにママがおしえてくれたお花。
「ぼく、お花はさくらがすきだよ。でもようちえんではすみれぐみなんだ」
「ふむふむ。桜はバランスが取りづらい字だな。菫は大人でも書けない人が多いかもしれない」
 さらさら、お兄ちゃんはまた知らないかんじをかいた。すごいね、って言ったら、たくさん勉強したからね、って笑った。ぼくもしょうがくせいになったら、たくさんべんきょうしよう。
「もっともっとむずかしい『かんじ』、かいてみて!」
「もっともっとか……」
 ぼくがおねがいしたら、お兄ちゃんは十びょうぐらいしずかにかんがえてから、ゆっくりもじをかいた。やっぱりぜんぜん知らないかんじだった。おんなじかたちが三つ、ぎゅっとくっついたみたいなもじだった。
「これもお花?」
「いや、お花ではないよ。意味も少し難しいが、大きな音、と言えばいいかな」
 これはね、お兄ちゃんの大好きなひとの名前なんだ、って、あかちゃんを見てるときのパパみたいなかおで、お兄ちゃんが言った。
「お兄ちゃんのかぞく?」
「今はまだ違うけど、いつか家族になれたらいいな、って思っているよ」
「あかちゃん?」
「んっふふ……赤ちゃんみたいな時もあるけどね。大人のひとだよ」
 おとなのかぞくは、ぼくはパパとママとおじいちゃんとおばあちゃんしか知らない。みんなずっとかぞくだった。お兄ちゃんのおはなしはちょっとむずかしい。
「お兄ちゃんのだいすきなひとは、おうちでおるすばん?」
「そのひとは、お兄ちゃんよりももっとずっと遠くに住んでいるんだ。このあたりにはいないんだよ」
「じゃあ会えないの?」
 ぼくのおじいちゃんとおばあちゃんはとおくにいて、ときどきしか会えないんだよ、って言ったら、そうだね、お兄ちゃんたちもだよ、っておしえてくれた。お休みの日にときどき会うんだよ、って。
 お兄ちゃん、今日はお休みだって言ってた。でも、お兄ちゃんはひとりだった。ぼくがかおをじっと見たら、お兄ちゃんはあたまをこっくりして言った。
「今日は急なお仕事があって、会えなくなってしまったんだ」
 お兄ちゃんの好きな人はとっても人気者で頑張り屋さんなんだよ、ってお兄ちゃんが笑った。笑ってるのに、さみしそうだった。ぼくも、おじいいちゃんとおばあちゃんに会えなくなったらさみしいし、パパとママとあかちゃんに会えなくなったらすごくさみしい。
 ぼくはきいた。
「さみしい?」
 おこられるかなって思ったけど、お兄ちゃんは少しびっくりしたかおをして、ないしょばなしをするみたいに、小さな声で「うん」って言った。
「……さみしい。すごく」
 だけどね、って、笑う。
「お兄ちゃんは、頑張ってお仕事してるそのひとのことも大好きだから、遠くから応援してるんだ。そのひとにも、周りのひとにも、大変なことがありませんように、怪我をしたりしないで元気に帰れますようにってね。お仕事が終わったら、また会う約束をするんだよ。だから大丈夫」
 そうた君は優しいな、ってお兄ちゃんは言った。ぼく何もしてないよ、ってあたまをぶんぶんしたら、お兄ちゃんを心配してくれたんだろう、すごく優しいよ、ってまたなでてくれた。ぼくはもういちど、お兄ちゃんのおてつだいがしたくなった。
「お兄ちゃん、おまじない知ってる?」
「おまじない? なんのおまじないかな」
「だいすきなひととのおまじないだよ」
 ぼくはシャベルをもって、じゃりじゃり砂をひっかいて、「もじ」じゃなくて、「え」をかいた。ママが座ったベンチについてるやつみたいな、大きなかさ。
「この上に、『ハート』をかいて、かさのぼうのこっちとこっちに、自分の名まえと、だいすきなひとの名まえをかいて、うみにもっていってもらうんだよ。そしたら、うみのかみさまにとどいて、だいすきなひとともっと仲よくなれるんだって。ミクちゃんが言ってた」
「海に? ……ああ、波にさらわせるってことかな。なるほど。沿岸の街らしいおまじないだ」
 はいどうぞ、ってぼくのかいた「かさのえ」をあげたら、お兄ちゃんは少し困ったかおをしたけど、君がせっかくおしえてくれたんだものな、って言って、てっぺんにちょっとカクカクしたハートをつけてから、ぼうのそばに名まえをかいた。ふたつめがこちゃこちゃした「てんや」のかんじと、ふたつとも知らないかんじ。
「さっきのとちがうよ」
「さっきのは上の名前で、これは下の名前だ。『てんや』は下の名前だからね。どっちもお兄ちゃんの大好きな、大切な名前なんだよ」
 お兄ちゃんはちょっとかおがあかくて、ちょっと「はやくち」だった。だからなんのことかあんまりわからなかったけど、お兄ちゃんが笑ってたから、こんどはさみしくなさそうだったから、いいのかな、と思った。
「お兄ちゃんのおはなし、ちょっとむずかしいね」
「む、そうか。気を付けよう」
「あと、ちょっとヘンでおもしろいね」
「むう……」
 お兄ちゃんが口をぎゅむっとした。ぼくは笑った。うみの向こうを小さなふねがとおっていって、大きななみがぼくたちの足のすぐそばまで来た。
「大潮が近いから、波が上がってくるのも早そうだな」
 そろそろお暇しよう、って言って、お兄ちゃんが立ち上がった。「おいとま」は「さよなら」のことだった。遊んだらちゃんとあと片付けしないとな、って、むずかしいことじゃなくて、ママとおんなじことを言って、二人でかいた「もじ」をいっしょにけした。お兄ちゃんとお兄ちゃんのだいすきなひとのおまじないのかさと、ぼくはもうちょっとあそびたかったから、砂のおしろだけそのままにした。
「お兄ちゃん、おうちにかえる?」
「うん。この浜辺の端っこまで走って、もう一度戻ってきて、それから帰ることにするよ」
 はまべのはしっこはすごくとおいけど、お兄ちゃんはかけっこがはやいからへいきなんだと思う。お兄ちゃんはママと少しおはなししたあと、ぼくのとなりにしゃがんで、「そうた君にお願いがあるんだ」って小さな声で言った。
「あのおまじない、たぶんあと一時間もしないうちに海が持っていってくれると思うんだが、それまで誰にも見られないように、内緒で君が守っていてくれないかな」
 今日はもうだれも来ないと思ったけど、ぼくは「うん」ってこたえた。かみさまにとどくまでぼくが守ってあげるよ、って言ったら、お兄ちゃんはにこにこして、「頼もしいヒーローだ」ってほめてくれた。
 三人でさよならって手をふって、お兄ちゃんのおみおくりをした。お兄ちゃんはぐんぐんとおくに行って、すぐに見えなくなった。また会えるかな、ってママにきいたら、きっと会えるよ、って笑った。


       ◇


 じゃくじゃく、じゃくじゃく。
 お兄ちゃんとさよならしたあと、ぼくはひとりで小さな砂のおしろをもうひとつ作った(トンネルもじょうずにほれた)。それからパパとあかちゃんにあげる「おみやげ」をさがして、砂のなく音を聞きながら、はまべを歩いた。
 波が近付いてきたから気を付けようね、ってうしろからママが言った。ぼくははぁいとおへんじした。ころばないように足もとにもきをつけて歩いていたら、砂のなく音がかわった。
 じゃくじゃく、ざっざっ、じゃくじゃく、ざっざっ。
 走る音だ。お兄ちゃんがもどってきた、て思って向こうを見たけど、音はお兄ちゃんが走ってったほうじゃなくて、はじめに来たほうからきこえてきた。あらまあ、って、ママが言った。
 ぼくたちのほうに走ってきたのは、べつのお兄ちゃんだった。めがねのお兄ちゃんとおんなじぐらいせが高くて、あたまがあかとしろで、かおにぶちもようがあった。どこかで見た気がしたけど、思いだせなかった。シュンペイくんちのタマに、ちょっと似ていた。
 あかとしろのお兄ちゃんとぼくたちのあいだに、めがねのお兄ちゃんといっしょに作った砂のおしろがあった。お兄ちゃんはおしろをけとばしたりしないで(シュンペイくんはミクちゃんが作ったつみ木のおしろをけとばして、せんせいにすごくおこられた)、その少しまえで走るのをやめた。はあはあしてて、ちょっと苦しそうだった。
「だいじょうぶ?」
 ぼくが大きな声を出してお兄ちゃんにきくと、「おう」ってこたえた。苦しそうだけど、げんきそうだった。
「ちょっと急いでたんだ。ありがとうな」
 お兄ちゃんはきょろきょろして、うみを見て、はまべを見て、ぼくとママを見て、砂のおしろを見た。ぼくたちが作ったんだよ、って言ったら、そうか上手だな、ってほめてくれた。
「俺が前に作った時は、トンネルから崩れちまった。ちゃんと水をかけないと駄目なんだよな」
「うん。お兄ちゃんも、お兄ちゃんのお兄ちゃんにおしえてもらったの?」
「兄ちゃんは友だちに教わったんだ。けどトンネル掘ってる時に手と手がぶつかって、あせって、水を全部蒸発させちまった。……て言ってもわからないよな」
 あかとしろのあたまを手でわしわししながら、お兄ちゃんはまたまわりを見て、それから自分のからだを困ったかおでぱたぱたたたいた。どうしたの、ってきいたら、急いでたからスマホを忘れてきたんだ、って言った。
「お兄ちゃんもうっかりさんだね」
「……うっかりさん」
 はは、ってお兄ちゃんが笑った。タマだと思ったけど、ポチにもちょっと似てる。うしろでママが「あっ」って言った。
「ね、そうちゃん。お兄ちゃん、海で何か探しものをしてるんじゃないかな」
 お兄ちゃんはちょっとびっくりしたみたいだった。さがしもの? ってぼくがきいたら、あかとしろのあたまがこっくりした。
「ひとを探してるんだ」
「どんなひと?」
「眼鏡をかけてる兄ちゃんだ。服は何着てるかわからねぇ」
「めがねのお兄ちゃん、さっきここにいたよ」
「お、マジか」
 さっきってどのぐらいさっきかな、ってきかれたけど、ぼくはよくわからなくて、ママがこたえてくれた。
「一時間前ぐらいまでいらっしゃって、向こうへ走っていかれましたよ」
「はまべのはしっこまで行くんだって」
「浜辺の端……一時間前か」
 よし、ってお兄ちゃんは足を「くっしん」した。かけっこのれんしゅうをしたとき、パパに「走る前にちゃんと準備体操するんだぞ」って言われてやったやつだ。だけどお兄ちゃんは苦しそうに走ってたから、ぼくはしんぱいになった。だから、めがねのお兄ちゃんがまたこっちにもどってくるって言ってたよ、っておしえてあげた。
「そうか。ありがとな」
 でも、って、あかとしろのお兄ちゃんが言う。
「来る前に連絡もできなかったし、早く会いたいから、迎えにいくよ」
 兄ちゃんが待たせちまったんだ、って言う。うれしそうで、ちょっとさみしそうなかお。
 ぼくは「あっ」てなって、お兄ちゃんが行っちゃうまえに、いそいで走った。
「お、危ないぞ」
 転ぶぞ、ってお兄ちゃんがのばしてくれた手をつかんで、こっち、って引っぱった。なんだなんだ、ってびっくりしてるあかとしろのお兄ちゃんを、ぼくはめがねのお兄ちゃんといたばしょまでつれていった。
 ぼくが守ってたおまじないは、あかとしろのお兄ちゃんが来るちょっとまえ、うみがかみさまのところにもっていったから、砂の上にはなんにもなかった。でもぼくは、お兄ちゃんにおしえてあげたかった。
「お兄ちゃん、ここ見ててね」
「……おう」
 ぼくはしゃがんで砂に手をついて、めがねのお兄ちゃんと、おまじないのことを思いだした。ざわざわ、って、砂がうごいて、「え」と「もじ」のかたちにへこんでいく。
 かさと、ハートと、ふたつの名まえ。だいすきなひととのおまじない。
 えっ、てお兄ちゃんがおどろいて、おまじないを見て、ぼくを見て、うしろでまってるママを見た。ママが言った。
「ごめんなさい、お引き留めして……【追想メモリー】っていう、その子の個性です。触れた物の状態を、少しのあいだだけ以前あった形に再現するんです」
「あ、ママはまだまっててね。見ちゃだめだよ」
「はいはい。ナイショなんだよね」
 お兄ちゃんはぼくのとなりにしゃがんで、少し声をちっちゃくして、眼鏡の兄ちゃんが書いたのか、って言った。ぼくはそうだよってこたえた。
「お兄ちゃんがさみしそうだったから、ぼくがかさをかいて、お兄ちゃんにあげたんだよ」
「……そうか」
「こっちの名まえ、ぼくよめるよ。『てんや』ってよむんだよね」
「そうだな」
「こっちはね、おしえてもらうのわすれちゃった」
 めがねのお兄ちゃんのだいすきな、たいせつな名まえなんだよ、って言ったら、お兄ちゃんはこっくりした。なんかいもこくこくして、おしえてくれた。
「そっちの名前は、『しょうと』って読むんだ。ちょっと厳ついから、兄ちゃんは、『てんや』って名前のほうが好きだな。眼鏡の兄ちゃんが『しょうと』を大切にしてくれるのと同じぐらい、ずっと大切にしたいと思ってる名前なんだ」
 見せてくれてありがとうな、って、あかとしろのお兄ちゃんがあたまをなでてくれた。今日はぼくもずっとポチみたいでタマみたいだ。
「お兄ちゃん、おしごとしてたんでしょ。めがねのお兄ちゃん、とおくからおうえんしてるって言ってた。げんきにかえれますようにって」
「うん、そっか。だから兄ちゃん今日もたくさん頑張れて、予定より早く仕事終われたんだな。お礼言わないとな」
 お兄ちゃんは立ち上がって、もういちどおまじないを見た。
「これ、このままで平気か?」
「うん。すぐきえちゃうよ。めがねのお兄ちゃんとかいたのは、もうかみさまにとどけたんだ」
「へえ。……っふ、カクカクだな、ハート」
 本物はもっときれいでやわらかいんだけどな、ってお兄ちゃんは笑った。もうさみしくなさそうだった。ぼくはまだほんもののハートを見たことがないけど、おとなになったら見れるのかな、見れたらいいな、って思った。
 またみんなでさよならを言って、あかとしろのお兄ちゃんのおみおくりをした。めがねのお兄ちゃんに追いつけるの、ってきいたら、あの兄ちゃんに走って追いつけるやつはいないよ、って笑われた。
「でもあいつは困ったひとや大変なひとを置いていったりしないし、呼んだらすぐに駆けつけてくれるんだ。だから大丈夫」
「お兄ちゃん、うっかりさんで困ってたもんね」
「はは。そうだな。助けてもらわないとな」
 じゃあな、って手をふって、あかとしろのお兄ちゃんは走っていった。砂のなく音がとおくなって、お兄ちゃんのあかとしろもどんどん小さくなって、はまべの向こうまで行って、見えなくなった。もうおまじないもきえちゃってた。ぼくはちょっとだけさみしくなって、パパとあかちゃんに会いたいから、おうちにかえろう、ってママにおねがいした。そうだね、ってママが笑った。
 じゃくじゃく、じゃくじゃく、砂がなく。
 お兄ちゃんたち、ちゃんと会えるといいね、ってママが言った。会えるよ、ってぼくはこたえた。だいすきなひととのおまじないをしたから。てんやお兄ちゃんも、しょうとお兄ちゃんも、「だいすきどうし」だから、ぜったいだいじょうぶだよ。
「海がきれいだね、そうちゃん」
「うん。お兄ちゃんたちも見てるかな」
 きっと見てるよね、って、ママといっしょに笑う。
 うみも、なみも、はまべも、ずっと向こうまで、きらきら光ってる。
 だいすきのおまじないが、たくさんたくさん、砂の上からかみさまのところまでとどいてるんだろうな、ってないしょで思いながら、じゃくじゃく、じゃくじゃく、ぼくはママと手をつないで、しずかなはまべを歩いていった。


Fin.

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